私のブログ

私がセラピストになったわけ(心理カウンセラー編)

※この記事は2016年に私が他ブログで書いた内容を一部編集して載せております。

私がセラピストになったワケを

自分を振り返りながら書いてみました。

なぜ「心の仕組み」に興味を持ち、

心理カウンセラーを目指し始めたのか、過去から振り返らせて下さい♪

友達や家族にもあまり打ち明けたことのない、私の心のお話・・・。

 

太っていた小中学校時代

「自分のことがあまり好きじゃない・・・。」

と初めてぼんやり感じたのは、

おそらく小学校中学年くらいでした。

小・中学校時代の私は太っていたので、

外見にとってもコンプレックスを持っており、

そのことが自己否定の原因の1つになっていたことは確かでしょう。

 

でも、「普通」の家庭で、

両親や祖父母からもそれなりに愛情を受け、

何かトラウマになる様な大きな出来事があったわけでもなく・・・

それでも私は私のことが嫌いで、

いつも薄暗い「何か」を心の奥底に抱えていました。

 

もちろん、何度も痩せようと試みました。

幼い頃は兄と競うように食べていて

「お兄ちゃんの方がいっぱい美味しいものを食べるなんてズルい!私だって食べたい!」

と3個上の兄と張り合って食べていたので、

痩せるわけがありません(笑)。

これは最近気づいたことですが、

子供時代は親から食事を与えられるので、

「兄の方が美味しいものをいっぱいもらっている=母からの愛情をいっぱいもらっている」

ように感じていて、

兄と競っていたのだと思います。

母から「お父さんはあなたをひいきしてるから、

私はお兄ちゃんを可愛がる」

いつも言われていたから尚更です。

 

その頃の私の一番の癒しは、

祖父母の家で飼われていた沢山の猫に会いに行くこと♪

縁側に座った私のひざの上にちょこんとクロという猫が乗ると、

下におろすのが可哀そうで、

30分でも1時間でも私はじ~っとしながら、

時には理由もなく涙を流して、座っていました。

 

私が太っていても、

誰にも分かってもらえない心の闇があっても、

動物は無償の愛で、

私に何のレッテルも貼らずにただ傍にいてくれてるように感じて、

私が唯一、私らしくいられる時間だったのかもしれません。

 

思春期になり自己否定感は悪化

高校になると体重は少し落ちましたが、

根底にある自分への自信のなさは、

むしろ悪化していました。

幸い友人には恵まれたので、

辛い時代も何とか切り抜けてこれましたが、

それでも悶々とある暗い感情は誰にも打ち明けることができずに、

ごまかしごまかし過ごしていました。

そもそも消えてしまいたいとすら思ってしまう

「根暗な自分」がますます嫌いで、

明るくてキラキラ輝いて青春を謳歌しているように

見える人たちがうらやましくて・・・。

 

人生で何度か母に「自信をもちなさい!」

と言われましたが、

自信のない人にその言葉は禁句です(笑)。

自信を持てたら苦労はしないのに、

「自信のない自分はなんてダメなんだ~・・・!」

とさらに自分を責める材料にしかなりませんでした。

 

人との比較で心が安定しない日々

思春期も相まって自己否定のピークで、

高校が嫌いだった私は「大学時代は楽しみたい!」

という思いで、「華やかさ」で選んだ大学を目指し無事合格。

 

初めての恋愛もしてそれなりに楽しい大学生活でしたが、

私の幸せは「状況」に左右されていました。

それと同時に感じたのは「自信のある自分」と

「自信のない自分」の混在。

誰かと比べて優れていると感じられたり、

少なからず劣ってはいないように感じられれば、大丈夫。

でも誰かの方が優れているように感じられれば、

胸をかき乱されました。

 

結局、表面上は大学デビューしても、

「私は可愛くなくて取り柄もない。」

という思いは深いところに抑圧したままなので、

その思いについている劣等感や悲しみを感じなければ心は平安、

何かのきっかけでその思いに触れられることが起こった時は、

心はザワつくという状態です。

 

心の仕組みを知るまでは、そんな潜在意識の思いが

私にずっと影響を与えているなんて知るよしもないので、

ハッピーな時と、

ものすごい自己否定モードに入る時の

落差が激しかった気がします。

 

新たな価値観との出逢いと父との別れ

大学を卒業した私は、

中学から憧れていたカリフォルニアの大学院に留学をしました。

「ビバリーヒルズ高校白書」が大好きで、

語学留学ではなくて、

アメリカの大学で学びたかったんです。

「ビバリーヒルズ高校白書」は

ビバリーヒルズに住むお金持ちのお坊ちゃま、

お嬢さまが繰り広げる青春テレビドラマです。

私が留学したChicoという町は

ビバリーヒルズとはかけ離れた田舎町でしたが、

そこに住んでいる人たちの

Quality of Life(生活の質)がとても高く感じて、

「こういう生き方もあるんだ~!」

と新しい価値観を私に与えてくれました。

 

CSU, Chico
大学のキャンパス

 

留学中には、父が亡くなるという悲しい出来事もありました。

留学前から父が癌を患っていることを知っていたので、

留学中も休みのたびに帰国していました。

小学6年生の時、祖父が亡くなった時も

「大好きな人もいつかは亡くなってしまうんだ・・・」

という初めてのショックを味わいましたが、

まだ50歳だった父が癌という診断と余命を宣告された時は、

頭が割れるほど泣いたのを覚えています。

反抗ばかりして、父の愛情をずっと受け取れずにいたのに。。

 

多くの日本の男性がそうであるように、

父も仕事に人生の大部分を捧げているように見えたので、

「それで良かったのかな・・・。」という釈然としない思いや、

「私は限られた人生をどう生きたいんだろう。」

「人が生きて、亡くなるってどういうことなんだろう。」

とこの頃から考えるようになりました。

 

帰国・そして人生の目標を失う

卒業後もアメリカにずっと住んでいたいという

気持ちが強かったのですが、色々考えた結果、

未練を残しながら日本に帰ってきたので、

帰国後は自分が何をしたいのか分からずにいました。

 

そんな状態なので、

「そんなに行きたいわけではない会社」

行きたいと熱烈アピールする面接が苦手で、

とりあえず派遣で働きながら、通訳の勉強をしていました。

その頃は「得意なことは何もない」と思っていた私が、

生まれて初めて人より得意と言える

「英語」を武器にするしか、

自分を活かせる道はないと思っていました。

 

通訳の勉強は想像以上に難しく、

自分の興味のないビジネスや医療などの

専門用語などを覚えなければならないことに

面白みを感じることができずに挫折。

 

その時、既に30代目前だったので

「派遣」という立場にも中途半端さを感じ、

「ああ、未だに何がやりたいのかよく分からないし、私は全部中途半端だ。

そろそろいい年だし、正社員目指すかな。。」

と感じ始め、就職活動を始めました。

 

ちょうどその頃の日本はスピリチュアルブームで、

もともと目に見えない世界に興味があった私は、

〇原さんの本を読み漁り、

〇原さんが出ているテレビも欠かさず見ていました。

前世や死後の世界の話は興味深く、

また「人は魂を磨き波長が高まると、同じく波長の高い人が集まってくる」

という法則の話にとても惹かれ、

「私も魂を磨こう!」と、

もともとある修行僧モードにさらに拍車がかかりました。

 

根底に無価値観や生き辛さを感じていた私には、

魂を磨けばその無価値観を埋められる様な気がして、

救いになっていたのだと今では思います。

でも・・・、魂を磨いているつもりが、

逆にネガティブな感情を抑圧したり、

自分を抑えてまで「いい人でいなければ」

という間違った方向に向かってしまったため、

時には余計に苦しくなりました。

 

私の人生は常に

「もっと自分を向上させなければ!!」

という思いにずっと駆られていました。

英語であれ、

スピリチュアリティであれ、

容姿であれ、

周りの人と上手く付き合うことであれ、

自分の性格であれ・・・、

「ありのまま」の自分にNGを出し続けながら、

「自分ではない誰か」になろうともがいていました。

 

正社員を目指そうと思った私は、

父が働いていたホテル業への憧れもあり、

ホテルの秘書の求人を探し始めました。

そして人材紹介会社で紹介されたのが、

なんと父が生前働いていたホテルの、

営業本部長という父のかつてのポジションの秘書だったんです。

目標を失い行き詰まっていた私へ飛び込んできたこのご縁は、

父が天国から助けてくれたとしか思えませんでした。

 

そんな不思議なご縁から面接を受け、

父が生前働いていた会社に勤めることになりました。

会社にはまだ生前の父を知っている人たちもおりましたので、

周りからどう思われているかを気にして、

「父の名を汚してはいけない」

というプレッシャーを勝手に感じていました。

その会社には6年半勤めましたが、

「会社員」として生きることの

良いことも悪いことも色々味わい、

成長することができました。

 

苦しみのどん底で心理、真理の探求が始まる

それまでも何か嫌なことや苦しいことがあると、

ネットの検索サイトにキーワードを入れて、

自分の心を楽にしてくれそうな本を読んだり、

ブログを読んだりしていましたが、

2013年の春、カウンセリングの師匠である

溝口あゆかさんのブログに出会います。

もうその時の検索ワードが何だったか全く思い出せませんが、

あゆかさんのブログを過去からさかのぼって夢中になって読み、

生まれて初めて「腑に落ちる」感覚があったことを覚えています。

 

それまでに見た自己啓発系の本や引き寄せ本、

一時期はまったスピリチュアル系の本の数々は、

良さそうなことも書いてあるし、

一時は心が楽になるんですが、

何だか納得しきれない部分も多くあり、

相変わらず心の奥底には暗いものが漂っていて、

相変わらず自分のことは好きじゃないという状態が続いていました。

 

そのブログで、あゆかさんが毎年秋に

ロンドンで2週間の「カウンセラー養成講座」を

開催しているということを知り、

「受けたい!!!」と思い立ち

すぐにメールを書きました。

カウンセラー養成講座という名称ですが、

コースの目的は

「自分を癒せて、初めて他者を癒せる」

というのが大前提で、

テクニックや理論だけを教える講座ではなく、

「自分自身を見つめて、

まずは自分が楽に生きれるようになる」

という内容に心が躍りました。

 

「私が知りたかったのはこれだ~!」という感覚。

その時はまだ会社員でしたが、

行くと決めたら行く!」というスイッチが入り、

2週間休みを取って

コースに参加することを決めました。

 

目から鱗だったカウンセラー養成講座と初めての大きな癒し体験

講座が開催されたロンドンの教会

 

溝口あゆかさんのカウンセラー養成講座では、

初日から目からウロコがボロボロ落ちました。

「私たちはネガティブな感情を抱えているのに

耐えられない時、その感情を抑圧して感じないようにする。

カーペットの下にゴミを隠し、

ゴミがなかったかの様に見せているが、

実際にはそのゴミ(押し込めた感情)が

なくなっていないことを薄っすらと感じている。」

「ゴミがたまってくると、私たちの中で、

理由は分からないけれど何だかパッとせず、

不幸感がある。」

 

それを聞いただけで、

「あ~、だから私はいつも薄っすら不幸感を持っていたんだ~!」

と心の底から腑に落ち、それが分かっただけでも心がホッとしました。

今までは

「私よりもっと不幸な境遇の人たちが沢山いるのに、自分が不幸だなんて思ってはいけない。。」

と思っていましたが、

実は大きなトラウマがなくても

日々の小さなトラウマの積み重ねの方が、

癒すのは時間もかかることがある

ということを知りました。

 

自分の体験、実践を大事にしているコースだったので、

コース中はペアワークなどでお互いの潜在意識にある

「自分を苦しめている思い」

を探っていく機会もありました。

そこでは自分が気づいていなかった自分に対する

ネガティブなビリーフ(信念、思い込み)に気づき、

それらの思いが自分をかなり苦しめていることに気がつき、

涙が溢れることもありました。

これが私の初めての大きな「癒し」体験だったと思います。

教会の近くの公園

 

またこのコースはあゆかさんご自身の体験から、

「非二元」(悟り)という究極の真理の観点を

ベースにした講座であったことも、私の癒しを進めてくれました。

もちろん2週間のコースで自分を癒しつくせるわけではなく、

これが私の「自分癒しの旅」と「真理の探究」の始まりでした。

 

ロンドンから帰ってきてからも、

心の仕組みや癒しに関する興味は尽きることなく、

カウンセラー養成講座の課題でもあるセッションを受けたり、コースの仲間と集まったり、

あゆかさんの日本での講座を受けたりしていくうちに、

いつの間にか自分が確実に以前より

「楽になっている」のを実感し始めました。

 

ベースの幸福感が増すとハートの声が聞きやすくなり、

「こうであるべき」というモードから

「こうしたい」というモードに少しずつシフトしていき、

自分が何が好きで、何をやりたいのかが徐々に見えてきました。

 

確実に「幸福感が増して生きやすくなった」のを実感するにつれ、

「より多くの人が自分を苦しめている思い込みから

解放されて生きやすくなれば良いな」と感じて、

養成講座から2年ちょっと経った2015年、

セラピストになろうと思うようになりました。

「昔の自分に、自分を癒す方法を教えてあげたかった・・!」

と思いますが、それは叶わないので、

年々楽に生きられるようになってきてからは

常に「今」がベストです。

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