心が揺さぶられる時こそ自分と向き合うチャンス

私ごとですが同居している母が、3ヶ月前、自転車同士の事故に遭い、

手術をして1ヶ月半入院をしていました。

退院して2ヶ月近く経ち落ち着いてきた今、この数ヶ月を振り返ると

ショックな出来事は気づきの宝庫で、恩寵もありました。

 

母の自転車事故

家で夕食の用意をして、仕事帰りの母を待っていたある日の夕方、一本の電話がありました。

ケアワーカーをしている母が、仕事の帰り道に自転車同士の事故で、怪我をしたと言うのです。

 

母からの電話だったので命に別状はないことは分かったものの

救急車を待っているという電話で、

事故だったことから相手の方や警察ともお話しし、

あっという間に当たり前の日常生活が騒がしくなりました。

 

結局、検査をしたところ足首が複雑骨折していることが分かり

手術が必要なため、すぐに1ヶ月半ほど入院することになりました。

 

一変した生活

突然母が入院したことで、私の生活も一変しました。

一気に家のこと、猫のお世話、まだ始めたばかりの仕事、

そして時々病院に通う日々が訪れました。

 

病院に通うといっても、このご時世で面会は許されていないので、荷物を届けることしか出来ません。

 

一番ショックだったのは

病院の先生からの手術の説明でした。

手術の説明というのは、ありとあらゆるリスクの承諾を求められます。

高齢ですし、骨折手術といっても100%の保証はありません。

感染症や他の不調が出る可能性など、

話を聞いているうちに私の心臓はバクバクし始めました。

 

手術の説明を受けた帰り道、私は歩きながら、突然涙が止まらなくなりました。

そのまま家に帰って、

母のいない空間を見て、

まだ生きているのにまるで何かあったかのように

私は異常なほど泣き続けていました・・・。

 

それでも冷静なカウンセラーとしての自分もいて

「手術の説明を受けただけで、この泣き方はおかしい。トラウマ反応かもしれない。」

と思いながら、その日は気が済むまで泣いていました。

 

刺激されたトラウマ

後日、心理セラピストの友人にセッションをしてもらい、

18年前に父が亡くなった時のトラウマが浮上してきていることが分かりました。

 

父が亡くなった時よりも、父の病気と余命宣告を聞かされた時のショックの方が大きかったのです。

その当時は本人にあまり詳細を知らせない時代だったので

父は自分の病気の進行度を知りませんでした。

父には真実を隠さなければという思いがあり、

他の家族の誰とも同じ温度感では

この悲しみを共有できないと感じていました。

 

セッションでは

「私ひとりが父の病気(死)を背負っていて、

情緒的に誰ともその思いを共有できない。」という

張り詰めたような悲しみが溢れてきました。

 

「誰にも共感してもらえず一人で悲しみを背負っている」

という痛みを抱えていたことには、

今回のセラピーまで、まったく気づいていませんでしたが

セラピー中に感じたその重荷と悲しみは、とても大きいものでした。

解放されていないトラウマのエネルギーというのは莫大で、

その当時のまま身体に残っているものです。

 

自分では気づいていなかった、こんなにも傷ついていたその当時の私に出会えて、

その悲しみを理解してあげられたこともギフトでした。

 

父の病気に関するトラウマが今回の母の手術や入院と

どれだけ直接リンクしているのかは分かりませんが

「私がしっかりしなければ」

という張り詰めた思いは、共通していたのかもしれません。

 

今までエネルギッシュで元気だと思っていた母が

確実に年をとっていることに気づかされたことや、

いつかくる別れを考えてしまったことも、心を大きく揺さぶりました。

 

母の入院中の気づき

母と娘という永遠のテーマはご相談でもよくある悩みなので、

また少しずつ書いていきたいと思っていますが

私の母は典型的な世話好きのお節介タイプです。

 

私も何度か家を出て母と離れていたことはありますが

数年前からまた一緒に暮らし始めました。

もちろん家事など私もやりますが、

母のやり方でやらないと細かく指示をされるので、

だんだん母任せになっていきました。

 

それが今回のことで、母にいろいろなことを任せていたことが、

実は私のパワーを奪っていたことに、気がついたのです。

 

独立して仕事を始めたばかりの中、母の急な入院で、家のことや猫のお世話、病院通いの日々が始まり

生活のリズムが出来るまではとても大変でしたが、慣れ始めると

「私、ひとりでもちゃんと出来るんだ!」

ということが嬉しくなってきました。

 

「いい大人なのに、まるで子供みたいだ。」

と思いますよね?

 

一人暮らしも経験していますし

一緒に暮らしていた時も「ひとりでは何もできない」と思っていたわけではありませんが

親子というのは一緒にいると、何歳でも「親と子」に戻るので

深~いところでは、

「私はひとりでは何もできない」

という子供時代からずっと抱えていた思いを、感じていたんだと思います。

 

注文をつけられたり、ダメ出しをされるくらいなら

任せた方が楽と思っていましたが、そうしているうちに

「自己効力感(自分ならできると自分の能力を信じられる)」

が低くなっていたことには、気がついていませんでした。

 

これは今に始まったことではなく、幼い頃から私と母の間で起こっていた

典型的なパターンだったのです。

 

過保護や過干渉な親に育てられると

子供はだんだん自分で決断できなくなったり

自分に自信がなくなってきます。

 

心理を学んでカウンセリングやセラピーも受けてきて、

人より分かっていたはずの私でも

またこのパターンに陥っていたことに気づいたのは衝撃でした。

 

母もまた、長い入院生活で色々な気づきがあったようです。

突然の入院で、誰にも面会できず、

骨折なので動くこともできないとなれば、

強制的に自分と向き合うことになります。

実は母は今年の初めにも一回、自転車で転んで怪我をしていたのですが、

すぐに仕事復帰していました。

そして今回2回目のさらに大きな自転車事故・・。

ここまで立て続けだと、

何かの「お知らせ」ではないかと思ってしまいます。

それまでの母は、私から見ても年齢の割に働き過ぎでした。

 

だからこそ今回の事故はショックでしたが、

命に別状がなかったことが不幸中の幸いでした。

母は今の仕事が天職だと思っていて生き甲斐を感じているので

今回のことで仕事量を減らして、無理をしないで

長く続けようという気持ちになりました。

入院中に骨粗鬆症も発覚したので

食生活を見直して、飲酒も少なくなりました。

 

1ヶ月半、私と母は会うこともできませんでしたが

毎日メッセージを交わして、

お互いのありがたみを再確認することもできました。

 

もう一つの恩寵

事故から3ヶ月が経ちましたが

母はゆっくりとでも、だいぶ普通に歩けるようになり

仕事を減らしながらも、もう復帰しています。

古希を迎えた母が、

複雑骨折をしてから2ヶ月半で仕事復帰をするというのは、奇跡的だとすら思います。

もともとバイタリティーあふれる努力家の母は、痛みに耐えながら

帰宅後も毎日、諦めずに自らリハビリに励んでいました。

 

そしてもう一つの恩寵というのは

10才の飼い猫ハルと私の距離が、母の入院期間中に、さらに縮まったんです

 

ハルは、私にも母にも懐いていましたが、

寝る時はだけは、母としか寝ませんでした。

それが母が突然入院して、母の日課だった、ハルの毎朝のブラッシング、

爪切りなども全部私がやり始めて、2週間経った時、

初めて一緒のベッドに来てくれたんです!

動物を飼ったことがない方には

まったく分からないかもしれませんが、

これはとっても嬉しいことです(笑)。

 

それまでもとっても可愛がっていましたが、動物さんというのは

毎日自分のお世話をしてくれる人から注がれる愛情を、ちゃんとキャッチしているものなんだな〜と気づかされました。

世話をする私の方も、毎日のお世話をすることで、さらに愛おしさが深まったことも大発見でした。

 

母が帰ってきたら、また元に戻っちゃうのかな・・・

と思うとちょっと寂しくもありましたが、

母が退院して2ヶ月ほど経った今

ハルは夜寝る時、私の部屋と母の部屋を

行き来するようになりました。

まるで二人を気遣っているかのように!

 

 

この数ヶ月は、母にとってはもちろん、私にとっても大変な期間でしたが、

間違いなく多くの気づきを、もたらしてくれました。

 

「普通の毎日が続くこと」

それはまったく「普通」じゃないこと、

それは普通が普通じゃなくなった時にしか

気づけないのかもしれません。

 

「心が揺さぶられるような出来事」

が起こった時は、自分の中に隠されていた

本当の気持ちや宝物に、いつも以上に気づけるチャンス。

 

また今「普通」の毎日に戻りつつありますが

私も母も一歩、成長できたような気がします。

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