キメツケ、ダメ、ゼッタイ(1)

突然ですが、人からイメージを決めつけられて

「全然違うし」

と思ったことありませんか?

 

人って自分のフィルターを通して、勝手にイメージを作りあげていくものなんです。

 

最近私が言われたこと。

 

(デニムを履いていたら)「ジーンズなんて履くの?ロイヤルなイメージがあるから意外!」

ロイヤルなイメージって嬉しくないわけじゃないですが(笑)、もちろんデニムくらい履きます。

 

「三歩下がってついていきそうなのに(違うねという話)」

自由をこよなく愛する私は、三歩下がってついては行けません。

昔からお嬢様っぽいと言われることもたまにあって、

悪いイメージじゃないけど、要するに従順そうっていうことですかね。

社会に受け入れられるために無意識にそのイメージに寄せていこうとしたこともありましたが、

残念ながら(?)見かけほど従順じゃありません。

 

【自由】って何かって言うと、その一つは貼られたレッテルから自由になること。

 

他人が自分につけたレッテル、

自分が自分につけたレッテル、

社会が自分につけた肩書き、役割、

そういった「ラベル」ぜーん分から自由になること。

 

私がレッテルを貼られてるばっかりじゃなくて、

私も普段、相手に対して「その人」のイメージを作ってしまって、

長い付き合い、親しい付き合いになればなるほど、

そのイメージは自分の中では「事実」となって

なかなか崩すことが出来なくなることがあります。

特に親子関係などでは、お互いに固まってしまったレッテルを

通してしか相手を見れなくなってくるので、

どちらかが意識的に気づかない限り、その関係性を変えることは難しくなります。

 

つい最近私も、仲良しの友達が「好きなアーティストを見て家で踊っている」

と言っていて「ものすごく意外!」と思いましたが、

彼女の新たな魅力発見の瞬間でもありました。

人って本当に多面的だし、自分が見ているのってほんの一部分にしか過ぎないんですよね。

 

アメリカの覚者バイロン・ケイティが「いつも(まるで)その人と初めて出会ったようにその人を見る」

というようなことを言っていた時、衝撃を受けました。

人はある程度知っている人になると「この人にこの話をしたら、こういうリアクションをするだろう」

という予想を、大体頭の中で思い描いています。

そのフィルターを「無」にしてその瞬間のその人を「ありのままに見る」って本当に難しいです。

でも自分がそのフィルターを通してその人を見ている限り、

そしてそのフィルターに1ミリの疑いも持たない限り、

関係性は変わらないし、人間関係は次第に窮屈なものになっていくかもしれません。

 

ここで私の好きなアーティスト三浦大知さんの曲の一文をご紹介します。

 

身体中に貼られていた誰かの

理想や期待には笑顔で

「じゃあまた」剥がすだけ

(作詞:三浦大知 / 作曲・編曲:UTA 2020年 「I’m Here」から引用)

 

三浦大知さんの曲の歌詞は共鳴することが多くて、聴いていると自分に還れる感覚があります♪

 

 

貼られたレッテルをどんどん剥がしていいし、

それより自分の新たな面や、相手の新たな面を引き出していきたい。

自分も相手も固定せず、素のままで自由に生きていきましょう☆

 

次回は、キメツケ、ダメ、ゼッタイ(2)として

カウンセリングや心理セラピーなどの場で起こりがちな

決めつけの危うさについて書いていきたいと思います。

 

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