「願い」は叶うのか?

第一次引き寄せブームからもう15年以上経ったでしょうか?

私がたびたび「引き寄せ」や「願望実現」に関して個人的な思いを書くのは

「願望が叶わない(引き寄せが出来ない)」と

嘆く人の声が時々聞こえてくるからです。

心理セラピストの友人からも「何十年も引き寄せをやっているけど叶わない」

というお悩みを持った人が来たという話を聞いたりすると、

ただ普通に生きている人よりも「引き寄せ」にはまってしまったばっかりに

「私は引き寄せが出来ない」という二重の苦しみを負ってしまっている人の方が

よっぽど苦しいと感じます。

それどころか自分が望まない状況にいると感じている人は、

「不幸を引き寄せてしまった」と思う人もいるかもしれません。

 

そもそも「願い」は叶うのか?

今日は私の個人的な思いを書かせて頂きます。

今現在の私の仮説であり、目に見えないことなので私の考えは変わるかもしれませんが、

「願いが叶わない」と悩んでいる人が違う視点を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

オーディション番組を見て思ったこと

私は今BE:FIRSTというボーイズグループのファンなんですが、彼らはオーディション番組で誕生しました。

このオーディション番組は下手な自己啓発セミナーを受けたり、道徳の授業を受けるより

ためになって感動すると感じているんですが(笑)、

見ていると「オーディションに受かった人」だけではなく「受からないかった人たち」

にも思いを馳せてしまいます。

 

世の中に芸能を目指す人たちは数えきれないくらい多くいますが、

そもそも芸能人になれる人は一握りですし、成功する人たちはもっと少ないです。

 

こういったオーディションでは、「引き寄せ上手」な人たちが合格しているんでしょうか?

才能があるのは大前提としても、どう考えてもそれだけではないと思います。

参加者の多くの人たちが本気でアーティストになりたいと願っていて、

そのための努力を惜しみなく続けていたと思います。

何度もオーディションに落ちたり、挫折してきた人たちもいました。

その中には、今後もアーティストになるという夢を叶えられない人も、

残念ながらいるでしょう。

 

でもそれは彼らの「引き寄せが上手くいかなかった(願い方が間違っていた)」

からではないと思うんです。

才能がなかったという理由だけでもないと思います。

何よりも大事なことは「願いや夢が叶わなかったこと」と「不幸である」ことは

まったく関係がないということです。

 

彼らの価値が、合格した人たちよりも低いということでもありません。

 

願いというのは「個人」と「宇宙全体」の望みが一致する時に

一番すんなり叶うものだと思います。

「叶わない方がいい願い」というのもあります。

 

「願い」にも種類がある

「願望実現」ってひと言で言うと、やっぱり少し大雑把な気がするんですよね。

例えば先ほどのように「オーディションで勝ち残り世界的なアーティストになりたい」

という夢や「オリンピックで金メダルを取りたい」という夢と

「好きな人と結婚したい」「月収〇〇円」「病気を治したい」という願いは、

それぞれ質が違うと思いませんか?

 

オリンピック選手などは試合で勝つためのメンタルを整えておくために、

コーチの存在が重要であることは間違いないので、

そういう意味での「引き寄せメンタリティ」はあると思います。

でもそれはどの選手もしていることだと思います。

それでも「勝つ」こともあれば「負ける」こともあるのが現実です。

 

「アーティストになる」という夢にしても、

日本で大人気のスターになるのか、世界レベルのスターを目指すのか、

それとも路上ライブでも人々の心を潤すアーティストになるのか。

それは「運」ということもあるかもしれませんが、

それも含めてもともと魂が決めてきた「器」のようなものもある気がします。

 

「願い」は持たない方がいいのか?

私のブログを見て、私は「願いや夢」を持つことに反対していると思われる方もいるかもしれません。

 

そんなことはまったくありません!!!

 

私は夢や目標を持って高みを目指すことは、とても美しいことだと思っています。

だから先述のオーディション番組もとても感動したし、オリンピックを見るのも大好きです。

最近だとサッカーのW杯を見て、感動しています。

 

むしろ夢や目標がある人は、どんどんチャレンジした方が良いと思っています。

それはチャレンジすることでしか見えてこない景色や、気づかなかった感情が必ずあるから。

それは叶っても叶わなくても同じです。

どちらにしても私たちは「経験」をすることで、いろいろな感情を味わうために

地球に生まれてきたと思っています。

 

願いが叶ったら、それはそれでもちろん嬉しいことですし、

喜びを味わい尽くしていいと思います。

でも願いが叶わなかったり、自分が思っていた「形」とは異なっていたとしても、

大きな視点で見ると、必ず意味はあります。

だから腐らないで、そういう時こそ悔しかった自分を受け入れながら

自分の内側と向き合うことが大切です。

 

多分私が一番声を大にして言いたいことはここで、

願望が叶っても叶わなくても

あなたは何も間違っていないし、

あなたの価値は変わらないということです。

 

「願い」の背景にある思い

もう一つ、願望実現に関して、大切な視点があります。

エゴが望むことは、大抵「欠乏感」から来ています。

 

「この夢が叶ったら自分に価値があると感じられる」

「この夢が叶ったら、皆んなを見返すことが出来る」

「素敵なパートナーが出来たら、女性として自信が持てる」

「お金持ちになったら、やっと自由になれる」

 

自分の夢が叶ったことを想像した時、

純粋な思いだけではなく、上記のような思いが隠れていることはありませんか?

 

いつも順番は逆です。

自分の心の欠乏感を埋めることを先にしないと、

例え見かけ上は願いが叶ったとしても

「あれ?なんでまだ満たされないんだろう」

そんな思いを持つ人も世の中には多いでしょう。

 

そもそも自分が願っていると思っていたことが、

実は両親の夢だったり、世間から植え付けられた

イメージだったということもよくあると思います。

 

私たちが本当に望んでいるものは

いつも物理的な現象ではなくて、

丸っと完成した「自分」になりたい、

分離感・欠乏感(それがエゴそのものなので)

をなくしたいという思いです。

 

「願い」との付き合い方

何度も言いますが「願い」を持つことは、私たちにとって自然なことであり、

願いがあるからこそ変化や成長を促されるのは間違いありません。

 

ただ引き寄せの法則を「正しく」実践すれば、夢や願いは叶うものだと思っていたら、

それはあなたの苦しみにもなる可能性が大です。

引き寄せの法則に関しては、大好きなアニータの動画に私が以前字幕を付けたものが

あるので、まだ見ていらっしゃらない方はぜひこちらのブログから見てみてください。

 

私が今思うことは、願いを持つことは良いけれども、

「願いが叶っても叶わなくても今ここで幸せである」という

パラドックス的な大前提が何よりも大切であるということです。

 

「願い」を持たないのも一つの選択肢

これからは個人的な願いは、宇宙の流れと一致させていくことが、

ますます求められていくような気がします。

最近、友人と話していると「願いや目標が浮かばない」という声もたまに聞きます。

私も同じような状態かもしれません。

唯一の願いがあるとすれば「宇宙と同調すること」

欲がないわけではなくて、結局宇宙と同調することが

個人にとっても、最も幸福な状態なのではないかと思っているからです。

私もまだ「自力」で現実をどうにかしようという思いが残っていますが、

むしろ「自力」を手放して「委ねる」の練習が必要な気がしています。

 

これは賛同できない人もいるかもしれませんが、

どちらが良い悪いでもなく、人生のタイミングや、

もともとのタイプや魂の性質にもよるので、

分からないとう人はスルーして頂いても大丈夫です^^

 

最後に

「夢」や「願い」って古今東西、いろいろな人たちが語ってきていると思いますが、深いテーマですよね。

宿命や運命という考え方もあったり、一人ひとりの魂の性質や設定など、

いろいろなことが複雑に絡み合って人生は成り立っているなと感じます。

 

私は最終的に「願望は叶うこともあれば叶わないこともある」

という、ものすごく当たり前の答えに行き着きます。

その当たり前を受け入れながら人生を味わうことで、

人は深みを増して、いろいろな意味で成長していくのかもしれません。

 

今回のブログは何も結論づけるものではなく、私の一意見です。

皆さんが「願い」や「願望」についてどう考えているのかも、

とっても興味があります。

もし良かったらお気軽にコメントくださいね。

 

今日のブログが皆さんが「願い」について考える

良いきっかけになれば嬉しいです。

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