前回のブログではインポスター症候群をIFSの観点から見てみました。
今回はインポスター症候群というカテゴライズを離れて、一般的な『自信のなさ』について深掘りしてみたいと思います。
「自信をつけよう」という終わりのない登山
「自信がない」というのは人生の大半において私を苦しめてきたテーマでした。
その背後にあるのは、人との比較。
まだ心の世界を探求する前の私は、多くの人がする様に「自信をつけよう」と自己改善プログラムに取り組んできました。
自己改善の結果、「少し自信が持てたかな」と思った次の瞬間、根底にある自信のなさを刺激される出来事が起こり、さらなる自己改善へ向かう、終わりのない登山をしているようでした。
またどれだけ自己改善に取り組んでも世の中には「変えられること」と「変えられないこと」があります。
当然、それはとても苦しい道のりでした。
IFSで読み解く「自信のなさ」の内的構造
「自信のなさ」の奥には、大抵、無価値観や恥の感覚があります。
今、振り返ると「自己改善プログラム」は、無価値観や恥の感覚を感じないようにするための、必死の防衛でした。
これはIFSでいう、管理者のパーツ(自己改善プログラムを頑張っているパーツ)が、追放されたパーツ(無価値観や恥を感じているパーツ)を必死に守っている状態です。
自己改善に取り組み、自己成長することは何も悪くありません。
しかし、その時の私が気づいていなかったことは、「自分は何も取り柄のない存在だ」という思いを深く信じている自分が隠れていたことです。
本当は、その痛みにこそ光を当てて、理解してあげる必要があったのに。
「あの痛みだけは、二度と感じたくない」
その一心で、管理者のパーツは外側の世界を必死にコントロールしようと奔走します。
私の管理者パーツもまた、「どれだけ頑張っても、無価値観や恥を感じている自分を守りきれない」という痛みを抱えていました。
また「自信のなさ」を感じるとき、その背後には厳しく自分を批判するパーツが控えていることがあります。
「なんで何もうまくできないんだ」「お前は醜い」「なんの取り柄もない」と絶えず自分に辛辣な言葉を投げかけているかもしれません。
それらの批判パーツが、自己改善プログラムに駆り立てている場合もあります。
批判パーツは、奥に追いやられた無価値観を感じているパーツを嫌っているかもしれません。
その結果、自分のシステムの中で「二極化」がおき、「自分を肯定して自信を持ちたいのに、自分が嫌い」といった状態に陥ることがあります。
「なくそうとする」よりも「理解する」こと
「自信がない」という状態には、多くのパーツが複雑に絡んでいる可能性があります。
IFSの視点で考えると、大切なのは、「自信のなさ」をなくそうとすることではなく、「自信がない」背景にいるさまざまなパーツたちに思いやりの目を向け、理解していくことです。
無価値観や恥の感覚は人類に共通した深いテーマで、簡単には手放せないこともあります。
それでも自分のシステムがどのような構造で「自信がない」という状態に陥っているのか、好奇心をもって探求することは、自分が目を逸らしていた部分に、自己理解という光を当てることになります。
私たちの人生を動かしているのは、実は意識の9割以上を占める「潜在意識」だと言われています。
自分でも気づいていない心の奥にある思いは、知らないうちに私たちの選択や感情に大きな影響を与えているものです。
だからこそ、そこに光を当てて「知る」こと。
それだけでも、無意識に支配されていた状態から抜け出し、新しい変化が起きる準備が整っていきます。
次回は、私がこの「終わりのない登山」を降りる大きなきっかけとなった、「自信がある必要はない」という新たな視点についてお話しします。
