静けさを求めていた

今日は久しぶりにゆっくりできる日で、

最近お気に入りの先生のオンラインヨガを受けました。

エクササイズ的なヨガではなく、

一つ一つの動きに意識を向けながらゆっくり行う瞑想の準備にもなるヨガです。

太陽礼拝というヨガの基本のアーサナ(ポーズ)をやっていた時に、

不意に涙が流れました。

最近は予定が立て続いて、疲れが溜まっているのは気づいていました。

その予定は楽しいものばかりだったのですが、

外食も続いて体は重く、思考はいつもより騒がしかったので、

「そろそろ休まなければ」とは思っていたんです。

 

疲れているといつも以上にネットニュースを見てしまったりして、

「世の中大変なことばかり。生きていくのって大変だな。」と

切ない気持ちになっていました。

 

ちょっと良くないモードになっているなと思いながら自分を観察してみると、

「生きていくのは大変。人生は修行。」

という思い込みを持っていることに気づきました!

自分に修行へきがあるのは気づいていましたし(笑)、

「人生が大変なんて当たり前だよね。それを克服するために生きているんだし。」

とあまりに普通に思っていたので、完全にスルーしていました。

 

この思い込みを持っていると、当たり前ですが時々しんどくなります。

人は無意識に自分の思い込みにマッチする現実に意識を向けるので、

「人生は大変だ」と思うようなニュースや、出来事ばかりが目につきます。

 

私の場合は特に心身疲れてくると波動が重くなり、

重い波動に共鳴したもの、例えばジャンクフードやネットニュースなどの情報を

自ら求めにいってしまうことがあります。

 

そんなことに気づいた今朝。

「人生は大変だ」という思い込みを「それでも人生は愛で溢れている」

という思いに変えることを意図して、瞑想をしました。

 

今は激動の時代で、今後も色々なことが起こるかもしれない。

「それでも」膿出しをしたその先は、きっと今より素晴らしい世界になるし、

今この瞬間も目を向ければ「愛」は溢れているというビリーフにしたいなと思いました。

 

そこからの今朝のヨガ。

疲れていた体や、外に散らかっていた私のマインドが鎮まり、

今ここの静けさを感じて、涙が自然にあふれたのかもしれません。

「私が求めていたのはこの静けさ」

本来の自分、魂が「やっと戻ってきたね」と安心したような感覚。

 

外側の「刺激」や「楽しみ」は私の人生には欠かせないものですが、

同時に内側の「静けさ」はもっと欠かせないもの。

そんなことに気づいた朝でした。

 

みなさん日々お忙しく過ごしていると思います。

ご自身のことや家族のこと、お仕事、趣味、

自分を高めるための勉強。

好きでやっている「つもり」のこと。

 

スケジュールが忙しくなくても、

思考が常に焦っていて、

空いている時間もまったく安らげていないこともあります。

心も体も自分が思っている以上に、疲弊しているかもしれません。

 

だからこそ意識的に、

自分だけと過ごす「静かな」時間を少しでもとってみて下さい。

 

私も今回、またさらに自分を知ることが出来ました。

外側ではなく、内側の「静けさ」がベース。

いつもそこから自分の人生を創造していきたいと思います♡

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