昨日、友達の誘いでとある瞑想会に参加してきました。
その会で、インドで修行を積んだヨガマスターの先生に
一人の参加者の方が熱心に質問していたのが印象的でした。
その方は70代くらいの女性の方。
「今、何か大きな病気をしているわけではないけれど
いつか死ぬ時に『私の人生なんだったんだろう』と絶望したくないんです。
だからヨガや瞑想を始めたんですが、
続けていればそういう人生の意味が分かったり、不安がなくなるんですよね?
友達に言うとみんなお気楽というか、そんなこと普通考えないよと言われるんです」
と先生に質問していました。
私は職業柄、私だったらどう答えるかな
・・・と考えながら先生のお話を聞いていました。
禅問答のようなやり取りが何度かなされた後に、先生が
「今を楽しむしかないよ。昨日や明日があると言うのは幻。今しかない。
今を楽しんでいたら、死ぬ間際に絶望するなんてことはない」
と言い、それに対して質問者さんは
「何が楽しいか分からないんです。好きなものもわかりません」
と答えました。
そもそも2時間の瞑想ワークショップで
その方のお悩みをスッキリ解決するのは
不可能だと思いますが、その問いに先生は
「よくわかる占い師のところに行ってください(笑)」
とジョークを言って、その会話は終わりました。
この方は何度も質問されていて
これ以外のやりとりもたくさんあったんですが、
この質問者さんを見て私は思ったんです。
ご本人の自覚があるかはわかりませんが、
「恐れや不安でいっぱいなんだな」
ということ。
この方は「死ぬ前に私の人生なんだったんだろうと思いたくない」と
言っていましたが、
死ぬ前ではなく今すでにそう思っているはずです。
そしてその苦しみから逃れる「正しい」答えを
ずっと外側に探しているけれど見つからず、
苦しみのループにハマっているように見えました。
もちろん先生に質問すること自体は間違っていませんが、
やはりと言っていいのか、
最後まで先生の答えに納得しているようには
見えませんでした・・・。
その方に必要なのは、
外に答えを探すのではなく、自分の内側を見ること
だと思うんです。
「私の人生なんだったんだろう」と感じるということは
何か後悔があったり、
「こういう人生だったら良かった」
という思いがあるはずです。
「みんなはお気楽なのに、私は普通じゃないのかも」
というのは、“普通じゃない“自分にダメ出しをしているのかもしれません。
それらの消化しきれていない感情を解消していかないことには、
外からなんとアドバイスされても苦しいままです。
人の苦しみは自分のネガティブな「思いや感情」
と同化してしまうことから生じるので、
ヨガや瞑想でこの「思いや感情」から離れる時間を持つことでも
少しは楽になるかもしれませんが、
自分一人で解決が難しい場合は
セラピーやカウンセリングなど専門家の助けを借りて
内なる自分と向き合うサポートを受けた方が
早いと思います。
私たちは不安や恐れが大きい時ほど「外」に答えを探しがちです。
早くその居心地の悪い状態から抜け出したいから
「正解」を教えてもらいたいんですね。
その気持ちはよーーーく分かります。
そんな時は外にヒントやアドバイスを求めるのも良いですが、
最終的にはそれを受けての「自己向き合い」は欠かせません。
外から与えられたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、
「私はこう感じる」という内側の感覚に気づいて腑に落ちた時、
初めて本当の意味でホッとします。
私たちが抱える不安や恐れは、多くの場合、
外に答えを求めることでは解決できないということです。
真の答えは、いつも自分の内側にあります。
瞑想会での先生と質問者さんのやり取りを見て
自分の内なる声や感覚に耳を傾ける大切さを
もっと伝えていこうと、改めて思いました!