神の目で人生を俯瞰する
神の目で人生を俯瞰するとは、自分の人生が広大なタペストリーの一部だと想像することです。
その目で見ると、すべてのつじつまが合います。
すべての人間関係の大騒ぎやドラマも、自分を傷つけた人も、それは結局、最善の結果におさまります。
狂ったように見える政治も、古い慣習を打ち破るために表に現れてきているのです。政治も宗教も、恐れにもとづいて、人々を対立させています。
自分に唯一聞くべき質問は「私はこれを愛から行っているだろうか?」ということなのです。
臨死体験
臨死体験をしている時は、神の目で360度見渡すことができました。
亡くなった人は制限のない世界にいます。スピリチュアル・ティーチャーが亡くなるのは、制限のない世界にいって、さらに多くの人に触れるためです。
魂のレベルにヒエラルキーはありません。それぞれの魂に異なる目的があるだけです。
例えばウェイン・ダイアー(アニータを導いたメンター的存在)はより多くの人に触れることが目的ですが、アニータの父の目的は異なります。
どちらがより優れているということではありません。
アニータの父は今でもアニータを見守っていますが、同時に別の生を生きている可能性もあります。
ウェイン・ダイアーはおそらくもう生まれ変わらないでしょう。
私たちは全員、一つの意識の一面です。手の指が私たち一人一人だとしたら、大元はてのひらで、一つの意識で繋がっています。
「神」とは基本的に「意識」のことです。
神が私たちを創ったのではありません。私たちが「神」のイメージを創ったのです。
神は私たちと分離している存在ではありません。
自分が「変化」になる
世界を変えたいのなら、自分が「変化」なることです。
もし何かに反対して、それが自分を枯渇させたり、怒りを感じさせるのであれば、やめた方が良いでしょう。協力や協調を広げてください。
臨死体験中は、何も感じない無感覚の状態でした。
私たちは人生を経験するために、ここに来ています。
識別するということ
自分に合うもの、合わないものを見分ける、識別することは、ジャッジメントではありません。
あの世では識別する必要はありませんが、二元の世界で生きるには「洞察力」「認識力」が必要です。