今年の大きなチャレンジとして、
オンラインで心理セラピーの
英語トレーニングを
受けることになりました。
このトレーニングに向けて、
日々英語に触れるようにしています。
そんな中、
トレーニングのことを考えると、
少し怖いようなザワっとした感じが
あることに気づきました。
この焦るような緊張感は、
留学時代と通じている感じがして、
トレーニング前に見つめておいた方が良い、
そう思いました。
私のアメリカ留学生活
私は日本の大学を卒業してすぐに、
アメリカの大学院に留学をしましたが、
留学前は英語を流暢に話せる
レベルではありませんでした。
そもそも
「現地でネイティブの人に囲まれないと、
英語が流暢に喋れるようにならない」
と思っていたので、
そのための留学でもありました。
マイナーなレクリエーションという学部を
専攻したこともあり、
クラスメートは全員アメリカ人で、
10名以下の小さなクラス。
もともと白人人口の多い町だったので、
日本人の私は圧倒的マイノリティーでした。
英語が流暢とは言えないレベルで
無防備にも大学院に留学した私は、
実は気を張った緊張状態で
日々を過ごしていたことが、
今になって分かったんです。
この環境のお陰で確かに英語力は
飛躍的にアップしましたし、
苦労もしましたが、留学生活は私の中で
「色々あったけど本当に良かった」
という一言で片付けられていました。
実際、アメリカに永住したいという
希望すら持っていたので、
日本に帰国するのが残念でした。
アメリカに留学したことは、
いろんな意味で私を成長させてくれたので、
本当に良かったと思っています。
でも、その時の辛さや大変な思いは、
なかったことにしていたと、
やっと気づいたんです。
有難いことにクラスメートも教授も
全員優しかったので、
なんとか授業についていくことができ、
卒業することができました。
それでも、
特に最初はみんなが一斉に話すと、
会話のスピードに全く着いていけない。
ジョークもよく分からない・・・。
気を遣われすぎて、
子供扱いされているような気がして、
「対等」な友達になれない・・・
そんな気持ちにもなりました。
「対等ではない」という思いを
うっすら抱えながらも、
英語を上達させたいし
絶対に卒業したいので、
必死に努力していました。
学校外の生活でも、
日本人ひとりでパーティーに参加
したりしていました。
無自覚だった痛みとは?
私が気づいていなかったのは、
日々の授業やパーティーに
参加している時の私が、
すごく緊張して張り詰めていたこと。
憧れのアメリカ留学だったので、
高揚感もワクワクももちろんあり、
すごく頑張っていたんだと思います。
それでなくても大変な留学生活に加えて、
留学中に闘病していた父が亡くなりました。
ホームシックにもなりましたし
かなり辛い時期もありましたが、
「痛み」にフォーカスしてしまったら、
心が折れてしまいそうだっったので、
その辛さに蓋をして必死に卒業だけを
目指していました。
アジア人コンプレックスもあり、
留学先で仲良くなった日本人の友達と、
よくその話もしていました。
その留学生活の体験が、
今も隠れた傷として影響していたことに、
やっと気づいたんです。
留学は誰にとっても大変なことだし、
現地の友人に囲まれて生活できたからこそ、
英語が飛躍的に上達したので、
私にとっての留学は「良かった」
という一括りでまとめていましたし、
卒業した自分を誇りにも感じていました。
日本に帰国してからも、
外資系企業で務めたり、
英語は生かしてきたつもりですが、
ずっと引っかかっていたことがありました。
「ネイティブの人たちと対等になるには、
私もネイティブにならなければいけない」
という強迫観念のような思いがあったこと。
留学中も、帰国後も、
海外のネイティブの人と話すときに、
「対等ではない」感覚、
つまり引け目のようなものを
いつも感じていたんだと思います。
「思います」というのは、
それほど自覚的ではなかったのですが、
今回はっきりと気づきました。
アメリカへの憧れも強かったので、
アジア人としての劣等感も感じました。
これは個人的な思いだけではなく、
「集合意識の痛み」
もあるような気がします。
俯瞰してみると「対等でいる感覚」と
「英語がネイティブ」というのは
なんの因果関係もありません。
英語がカタコトしか話せない人でも、
堂々としている人っていますよね?
留学生活での緊張状態が、
実は隠れた痛みとして残っていることに、
初めて気がつきました。
私が本当に望んでいたこと
それに気がついた時、
私は「英語がネイティブになること」
を望んでいる訳ではなく、
誰と話す時でも対等感を感じ、
自分らしくいられることが、
私が本当に得たい感覚だったと、
はっきり分かりました。
その得たい感覚がなかったら、
例え英語がネイティブレベルになっても、
引け目は永遠に消えないでしょう。
このことが紐解けた時、
「英語」に関する私の思いが、
変わり始めました。
留学から帰ってきた時の私は、
TOEIC975点、英検一級も取り、
英語力はかなり高かったと思います。
英語や大学院の学びを生かして
バリバリ働きたいという思いがあったはずなのに、
実際の私はキャリア迷子でした。
外資系企業に勤めていたとはいえ、
望んでいた程には英語を
活かせていないことへの焦りがありながら、
アクションを取れませんでした。
今回の気づきで、
その理由が分かりました。
私は
「外資系でバリバリ(対等に)働きたい」
と顕在意識では思いながらも、
無意識ではまたあの痛み、
もっというと劣等感を感じるのが、
怖かったんだと思います。
一方で英語は好きですし、
アメリカに対する憧れも強いという
アンビバレントな状態なので、
2017年に再びアメリカ留学を
目指したりもしました。
英語や海外の人に囲まれることに関して、
常にアクセルとブレーキを踏んでいる
ような状態だったんです。
自分の中にある相反する思いに気づいてから、
トレーニングに向けて、
英語をネイティブレベルにしなければという
強迫観念とも言える思いが、
ふっと緩みました。
痛みに光を当てよう
20年も前の留学生活が、
まだこんなにも自分の意識に
影響していたことに驚きです!
「なかったことにされた痛み」
は無意識でずっと影響し続ける。
それを改めて感じました。
このことに気づいて、
私は置き去りにしていた
自分と英語の関係、
自分と海外との関係を、
もう一度見直して、
再構築しようと思っています!
どこの国の人とでも、誰とでも、
「繋がり」を感じることが好き。
英語は私にとって、
そのためのツールだという事が、
わかりました。
だからこそ、焦りからではなく、
色んな国の人と繋がるために
英語力をアップしようと、
思うことができました。
「願っているはずなのに、進めない」
「やりたいはずなのに、モヤモヤする」
そんな時は、
自分では気づいていない、
「心の傷」が眠っているかもしれません。
その心の傷が解きほぐされた時、
本当に自分がやりたいことが、
見えてくると思います^^