2013年に溝口あゆかさんの元で心理カウンセラーの勉強を始めた時、
「すべてが投影である」と初めて聞きました。
私たちは「映写機」のようなもので
自分たちのフィルターを通して世界を見ている。
だから何かの出来事や、誰かから言われたことに
腹が立ったり、悲しくなったり、傷ついたりしても
それは「その状況や相手」がそうしたのではなく、
自分の中にもともとあった種、
もっというと思い込みやセルフイメージなどが
刺激されて、そう感じただけだよということです。
これを認めるのは、多くの人にとって、
実は結構「嫌なこと」かもしれません。
なぜなら自分が傷ついたり、怒ったり、悲しくなったのは
「絶対にあっちが悪い」
と思っている方がある意味、楽ですから。
自分の投影を見つけるのは
相手や状況に向かってしまったベクトルを
自分に向け直すことです。
「私はどうしてそう感じてしまったのかな?」
を自分に問い直し、
問題は相手にあったのではなく、
自分の中に癒しを必要としている
間違った思い込みなどがあったことに気づくことです。
あれから10年以上経ちますが
自分を見つめれば見つめるほど
「すべてが自分の投影」であることが
さらに腑に落ちてきました。
別の言い方をすると
相手は常に「鏡」であり
相手のエッセンスは自分の中にもあるということです。
私の例を話しますね。
私は今の現実で、
周りにもう「嫌い」な人は一人もいません。
もちろん人間なので
全員平等に「気が合う」と感じているわけではなく
人との関係性はそれぞれですが
それでも嫌な人は一人もいないんです。
でも過去には苦手な人や嫌いな人、
この人だけは許せないと感じる人も何人かいました。
かなり自分を見つめるワークをしてきたので
「今でも思い出して怒りを感じる」
レベルの人は一人もいませんが、
昨日ふと思い出した人がいました。
その人とは複雑な関係性というか、
私は途中から「全然タイプも違うしかなり苦手」と思っているのに、
相手からは「親友」と言われる状態で
同じ職場だったので逃れられない・・・
というねじれた状態になっていました。
結局、職場を辞めると共に連絡を断つ
という強行手段をとってしまいましたが
でもそれくらい本当は嫌だったんです。
あれから大分経ちますが、
彼女に関しての投影を探すワークをしてみました。
見つめ返して気づいたのは
お互いその職場に入った時
別々の理由ですごく不安を抱えていたこと、
自信がなかったこと、
私の中に「人から嫌われたくない」という思いが強くて
彼女の要望に応え続けて依存させてしまったこと
ある意味では私も利用していたことなどが
はっきり見えてきました。
彼女との関係性は私にとってかなり苦しいものだったので、
職場を辞めて連絡を絶った解放感と共に
「あ〜大変だった」
ということで片付けてしまっていました。
でも昨日はっきりと
「私もあの頃、彼女と同じ苦しみ・同じ要素」
を持っていたから引かれあったんだなと
分かりました。
それが腑に落ちた時に、
彼女に対する思いやりの気持ちが生まれました。
そして私もやっとここまで来たな〜と思ったんです。
過去に嫌な思いをさせられた(と思っていた)
人たちすべて
「私の中に理由があった」
と今では分かります。
例外は一人もいません。
相手はいつも自分の中にあるものを見せてくれる
鏡でしかありません。
このことが心から理解できることでしか
「平和」は実現できないと私は思っています。
相手と自分は
敵対した別々の存在ではなく
相手と私は「同じ」だったと
心から理解できた時に癒しが起こります。
そして「すべて自分の内側の投影だった」
ことに気づかず、
周りを変えようとしている限り、
世界は変わりません。
それは当然ですよね?
世界は自分ですから。
「投影」や「鏡の法則」を書くときに
いつも私は
「これで自分を責める人が出てほしくないな」
と思って躊躇ってしまいます。
自分を責めて欲しいわけじゃないんです。
真の心の平安を、手に入れて欲しいんです。
その思いが伝わりますようにと祈りを込めて♩
“相手は自分の写し鏡” への2件のフィードバック
いつも心に沁みるメッセージ、深い気付きを起こしてくれるメッセージを本当にありがとうございます!
はるさんの思い伝わってます!
私も思い当たる方がフッと目に浮かび、そして思いやりの気持ちになれました、そして深く癒されてます。
里香さん、
いつもお読みくださりありがとうございます♡
コメントに気づくのが遅くなり、すみません(> <) 思いが伝わっていると言ってくださり、とても嬉しいです! 投影に気づくことはその時は「痛い」ような気がしても 癒されますよね。 里香さんがそれを感じてくださったのも嬉しいです♡