私が大切にしたい2つの柱(2)

前回の続きです。

 

「私たちは何者なんだろう?」

「何のために生まれてきたんだろう?」

 

という漠然とした疑問を小さい頃から持っていた私。

でもうちは無宗教でしたし

特に追求することもなく成長していきました。

留学していた時のアメリカ人の友達が

敬虔なクリスチャンで

「こんなふうに何の疑いもなく信じられるものがあるって羨ましいな」

と感じたのを今でも覚えています。

でも自分が同じように何かを

盲目に信じられるかと言ったらそうではありません。

私は私なりの答えを探していたんだと思います。

 

でも根拠はないけれど

肉体が死んだらおしまいではないと思っていたし、

目に見えない存在はあると感じていました。

 

その後、日本ではスピリチュアルブームがあったりして

霊的な世界に興味も惹かれましたが

それも100%納得はできませんでした。

 

そんな私が初めてしっくりきたのが

「意識」の世界です。

そもそもは私のカウンセリングの師匠の

溝口あゆかさんとの出会いからでした。

あゆかさんはいわゆる一瞥体験という

「悟りの世界を垣間見る」

という体験をされてるんですが、

その後調べていくと

一瞥体験をしている人というのは

人種・国籍関係なく

たくさんいることが分かってきました。

 

表現の差はあれど

悟り体験をした人たちの経験談は

とても似通っています。

キリストやブッダも

悟った人なので

究極的に指し示している方向は同じです。

 

私たちの本質は、身体や思考、感情ではなくて

それを観察している「意識」であるということ。

 

身体、思考、感情はどれも移り変わっていきます。

でも身体、思考、感情や感覚に気づいている「意識」だけは

常に変わらずにあります。

 

私たちの本質は、現れては消える「波」ではなく

変わらず存在する「海」の方。

 

この視点と理解を深めていくと

人生に対する見方がガラリと変わりました。

 

私たちはランダムに生まれて

大変な世の中をできるだけ賢く生き残るために

生まれてきたのではないことが分かると

本当の「安心感」を自分の中に育てていくことができます。

 

本質のエネルギーに触れていると、

表面的なことだけに振り回されにくくなってきます。

 

でも悟りの世界観だけを追求していくのも

私には窮屈になってきたんです・・・。

 

「悟り」の視点から見ると

何かを目指すことはエゴの欠乏感から生まれているから

そのエゴの動きを見抜いて

「あるがままに寛ぐ」だけなんですが

悟りの探究をしているコミュニティなどにいくと

みんな「悟り体験」を目指していて、それも苦しそう(笑)。

 

悟りを現実世界からの「逃げ」に

利用しているだけの人もいる気がしたんですね。

現実世界が苦しかったり不満があるから

「悟り」を求めるのであれば、

普通に心理的なアプローチをした方が楽になれると思います。

そのコミュニティのティーチャーが

「現実で幸せになりたいなら、

(悟りなんで追求しないで)現実に関わった方が良い」

と言ってたことがあるんですが

私もすごく同意したんですね。

 

今も幸せだけれど「真実を知りたい」

から探究をするのと、

「苦しみから逃れて一発逆転したい」

から悟り体験を求めるのは雲泥の差です。

 

そんな探究をしていく中で私は

「真実に触れたい」けれども

肉体を持って生まれてきたからには

「魂が望む最高の人生を歩みたいし、そこを追求していきたい」

という二つの思いを持つようになりました。

 

現時点では、この二つの柱はどちらも私にとって大事で欠かせません。

だから私はクライアントさんの現実的なチャレンジも後押ししたいし、

同時に真理でもある「気づきの意識」の観点を

育むサポートもしたいと思っています。

この「意識」の話は

もはや宗教的な怪しい話ではなく

それを証明する「科学」も追いついてきています。

 

本質でもある気づきの意識のエネルギーに触れることで

人と競争するサバイバルではなくて

「安心感」の中で自分らしい人生の追求ができる

それがすごく良いと思っています^^

 

この混沌とした世界を幸せに生きていくためにも

目に見えない真理の探究と

せっかく肉体を持って生まれてきた地球で

楽しく自分を生ききるためのチャレンジを

これからも続けていきたいし

この思いに共感してくださる方と

さらに繋がっていけたら嬉しいです♩

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です