コロナウィルスの話題が出始めた2020年から、私の中で大きく変わったことがあります。
それは「今まで信じていた情報を疑うようになった」ということ。
それまで新聞やテレビの情報は多少の偏りがあっても大きく嘘はないと信じていました。
それがコロナ以降に「多少の偏りどころではない」かもしれないと思うようになりました。
前にニュースを見ていた時に、「コロナ感染による死亡者」の数に
「事故で亡くなった後に検査をしたら陽性だった」方もコロナ感染者の死亡数に
入れていることをニュースキャスターがサラッと言ったのを見て
「それはコロナ感染の死亡者に入らないでしょ!?」
と突っ込みを入れたくなりました・・・。
自分でニュースを読んでて、変だと思わないんだろうか・・・
(思ってもそれがお仕事だからそのまま伝えるんでしょうけど)。
だからと言って、いわゆる「陰謀論」と言われているような情報を鵜呑みにするのも
私にはしっくりきません。
重要なのは「この情報が100%あっている」という世界観で生きるのではなくて、
できればなるべく偏らずに色々な情報を得てから、
「私はこっちが真実に近いと思う」という自分視点を持つことだと思うんです。
あまりにも簡単に情報が入手できる情報飽和の時代で、
本当のことを知ることは不可能に近いのかもしれません。
それでも真実を知ろうとする姿勢がなければ、
あっという間に自分視点を失って、
気づいていないうちに誰かの価値観で頭が埋め尽くされてしまいます。
お恥ずかしい話ですが、コロナ前の私は政治にもあまり関心がありませんでした。
今思うと平和ボケしていて、
「日本は安全だから、この安全で平和な日々が永遠に続く」
と思っていたんだと思います。
政治に関心がなかったのは、もう一つ大きな理由もありました。
根底には無力感があった
私が政治に関心が持てなかった大きな理由は
「私一人が関心を持ったところで何も変わらないだろう」
と深いところで無力感を感じていたからです。
この深い無力感、多くの人が共有している「無力感」かもしれません。
そもそも弱者であるという思い。
小市民が何かを変えたいと思ったところで、所詮無理。
それでもこの平和が続くなら、問題ないか。
そんな思いが根深いところにあった気がします。
それに加えて今まで自分が教わってきた、信じてきた世界観を
疑いたくなかったのかもしれません。
それが2020年以降、
「これは自分の頭でちゃんと考えていかないと、マズイんじゃない?」
と意識が変わっていったんです。
自分の頭で考えるためには「材料」が必要ですが、
本当に今は玉石混合、いろんな情報がありますよね。
それでも何が本当なのか、
「知ろう」と思う姿勢はこれからますます大事になってくると思います。
今になって政治や世界情勢にあまり関心を持てなかった自分が恥ずかしくなりますが、
私たち大人が無関心でいることの影響を被るのは結局、次の世代です。
囚われずに進化した魂を持っている若い世代を見ると、時代は確実良い方向に向かっていると希望を感じますが
今が大きな転換期であることは間違いありません。
私も大人の一人として、この地球に生きている一人として、
真実を知ることを諦めずに
より良い世界を創るために意識的になっていきたい
そういう心境になれたことは、コロナの大きな恩恵でした。